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名古屋高等裁判所 昭和45年(ネ)466号 判決 1972年2月16日

名古屋市千種区唐山町三丁目五七番地

控訴人

黒田秀一

右訴訟代理人弁護士

竹下重人

東京都千代田区霞ヶ関一丁目一番地

被控訴人

右代表者法務大臣

前尾繁三郎

右指定代理人

山田巌

大槻春雄

内山正信

蒲谷暲

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し五、九九六、一〇〇円およびうち四〇〇万円に対し昭和四二年一〇月一四日より、うち一、九九六、一〇〇円に対し同年一一月二八日より各完済に至るまで一〇〇円につき日歩二銭の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人指定代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張ならびに証拠関係は次に附加するほか原判決事実摘示のとおりであるから、その記載を引用する。

(控訴人訴訟代理人の陳述)

一、所得税の確定申告については、当該申告が過誤により過大になされた場合にはそれを是正するため一定の期間内に更正の請求ができる(国税通則法二三条)けれども、本件第二次修正申告のように法定申告期限から七月を経過した後になされた修正申告についてはその過誤の是正を求める法定の手続が存在しない。したがつて本件修正申告につき控訴人の過誤による無効の主張を許すべきか否かは修正申告の制度の趣旨、税務行政における修正申告の実際等を綜合して検討さるべきである。

二  納税申告書を提出した者が、当該申告書記載の税額が過少であることを知つた場合には、税務署長の更正処分がされるまでは修正申告をすることができる(国税通則法一九条)。修正申告は税法によつて特に義務づけられた場合のほか納税者の権利であつて、他から強制されるべきものではない。そして修正申告については、更正請求の手段が期間的に制限されることによつて事実上更正請求の途がとざされているのは、修正申告が本来すでにした確定申告の内容を再検討した上で行なわれるもので、納税者としては十分その内容を吟味して修正申告をするであろうと予測されるのでこのようにしてされた修正申告について更正の請求をさせる必要はないと考えられるからである。

三、また、税務行政の実際においては、納税申告の正否につき、納税者と課税庁との意見が岐れた場合には、協議がされるのが通常であり、この場合において課税庁側に主導権があるのが通常である。納税者は課税要件を成立させる基礎としての取引関係事実については知つていてもそれに適用されるべき税法令あるいは税法令の解釈適用の指針としての取扱通達についての知識の点では課税庁の職員に比較すべきなにものも持つていないからである。そのために右のような協議は一方的に課税庁から納税者に対する説得あるいは説諭と化し、修正申告の強力な慫慂となりがちである。その結果税法適用上の疑義を含み場合によつては法律上の争いに発展する危険のある事案についてまで将来の紛争を回避するために修正申告の提出を強く要求するという弊害を生じている。

以上のような税務行政の実情を考慮するとき、修正申告について過誤があつた場合、更正の請求という法定の手段がないから過誤の主張を許さないものと即断すべきでなく、その過誤を生ずるに至つた事情とくにその修正申告を慫慂した課税庁側の態度等を個別的具体的に検討し、租税法律関係の安定の要請とともに課税の公平、行政の誠実性に適う判断をなすべきである。

四、昭和四二年一〇月一二日控訴人が本件第二次修正申告書に記名押印するに当つては、被控訴人主張の「問題点一」の調査費用五〇〇万円の経費性について、控訴人主張のようにこれを本件売却に要した譲渡経費と認めるがその負担割合は訴外如意嘉子と各二五〇万円あてとすべきであるとの説明がなされたのみで被控訴人主張の「問題点二、三」については何等の指示も説明もなされなかった。

問題点二については東京都の買収契約書において本件家屋の所有を目的とする借地権の割合が本件土地の更地価額の僅か八%として記載されているがこれは記載のあやまりであつて正当には八〇%とすべきものであること、本件土地は控訴人の単独所有、本件家屋は控訴人と訴外如意との共同所有の旨登記されているとの理由について、控訴人から詳しい説明をしたところ問題点二については東京都の証明を持つてくるようにと担当係官にいわれた。そこで控訴人は上京して東京都庁係官と折衝したが「本件土地建物の買収契約書についてはその内容が建設省その他の関係官庁にも廻つている。借地権割合については思い違いがあるようだけれども今さら間違いであるとの証明書は書けない。間違いであることは税務署の人ならばよく分る筈だからそちらで相談してくれ」といわれ、十森調査官に右の事情を報告したところ、その後その点については何らの指示も説明もなされなかったので、控訴人としては右の二点については控訴人の従前の申告がそのまま是認されるものと思いこんで爾後は「問題点一」についてだけ交渉を続けていた。

本件土地所在地附近において建物所有のための借地権の割合が敷地の価額の八〇%程度に達していること、また税務においては不動産登記の外形によらずその実体的所有関係に基づいて課税されること等すでに公知の事実というべきであつて、右のような説明によつて問題点二および三について双方の諒解が成立したものと考えた控訴人の態度は無理もないところである。

五、以上の全体的経緯をみれば本件第二次修正申告書への控訴人の記名押印は税務署の調査官の欺瞞的な修正申告の慫慂によつて重大かつ明白な錯誤のもとになされたというべきである。そして修正申告についてはそれが過大であつた場合にこれを納税者が訂正するための法的手段のないことに加え本件申告の過誤が税務官庁の態度によつて惹起されたものであり、仮に納税者が申告にあたり過誤に陥つたについて不注意があつたとしても、それに至るまでの全体的状況にてらせば控訴人に重大な過失があつたということはできない。したがつて、本件修正申告の無効を主張する控訴人の本訴請求は正当である。

(新証拠)

控訴人訴訟代理人は甲第一五号証を提出し証人世古晴助、同小酒井二三夫、控訴人本人の各尋問を求め、被控訴人指定代理人は甲第一五号証の成立を認め、証人小酒井二三夫の尋問を求めた。

理由

控訴人が昭和四一年度所得申告にあたり昭和四二年一〇月一二日その主張どおりの第二次修正申告をなしたことは当事者間争いない。控訴人は右申告書記載内容中原判決添付別紙目録記載不動産を東京都に譲渡したことによる控訴人の譲渡所得額につき本来二八、三二〇、九五一円とすべきを錯誤により三七、三七八、三七六円と過大に申告したから無効であると主張する。

ところで、所得税の納税申告は納税義務者が、所得額および所得税額を確認通知する行為であるから、公法上の性質をもつものである。公法関係においては法的安定や法律関係の明確性の要請が私法関係におけるよりも大であると考えられるから公法行為は私法行為に比してより外観が重視され、その取消、撤回等がより制限されることがありうる。そして申告納税制度の下においては、納税義務者の申告は納税義務の具体的内容を一応確定する効力をもつものであり、申告により納税義務者は租税を納付し、課税権者は租税を徴収することになるのである。このような法律的効果をもつた申告は私法上の意思表示とはその性質を異にするものであつて、もし私法上の行為と同様、取消、撤回によりその無効が主張できることになると租税法律関係は極めて不安定になるとともに税務の合理的な運営に支障を来すことは明らかである。しかし一たんなした申告により納税義務者が終局的に拘束され、その変更は許されないとするのも合理的でないから、法は申告内容の変更を一定の方式および手続により行わしめている。これが修正申告および更正の請求である。その趣旨とするところは、申告内容の訂正をこれらの手続によらせることにより納税義務者の利益の保護と租税業務の円滑な運営の要請とを右の限度で調整しているのである。従つてすでになされた納税申告について、これを訂正するため更正請求の申立期限後にされた修正申告について申告税額を減じる訂正をする方法について税法上定めがないのは、何らかの過誤により過大に申告された場合でも、もはやこれを訂正することを許さないことを原則とするものと思われる。このことは修正申告がすでにした確定申告の内容を再検討した上で行われるもので、納税者としては十分その内容を吟味して修正申告をするであろうと予測されるので、その訂正を許さなくとも納税義務者に対し過当の不利益を強いるおそれがないとともに、租税債務を可及的速かに確定せしむべき国家財政上の要請に応ずるための考慮からであると考えられる。しかし、修正申告の記載内容の過誤の是正については、それを許さないとすると、納税者に対し過当な不利益を生じさせる等特段の事由がある場合で、その過誤が誤記計算違等客観的に明白かつ重大である場合までその無効の主張を許さないのは相当ではないというべく、かかる場合に誤つてその記載内容の錯誤による無効を主張することは許されると解すべきである。

そこで控訴人が本件第二次修正申告をなした経緯について考えるに、原審の事実認定に供した証拠に更に成立に争いない甲第一五号証、当審証人世古晴助、同小酒井二三夫の各証言を併せ考えると左に附加するほか原審の事実認定中三の(1)ないし(5)の事実を認めることができるのでここに原判決中その記載部分を引用する。

すなわち、控訴人が本件修正申告書に記名押印するに先立ち、同席した世古税理士は右申告書に一応目をとおし、この申告によるときは第一次修正申告による場合に比し税額において五九九万円の増額となることに気付いた。そして右申告書と同時に担当官作成の調査メモ(甲第一五号証)をも示され、その内容を検討しようとしたが係官から後日送付するからといわれて深く内容を検討しないままもし誤りがあれば後日誤謬訂正しようと安易に考えて控訴人に対し記名押印することを勧めた。

以上の事実を認めることができ右認定に反する原審ならびに当審における証人世古晴助の証言の各一部、同じく控訴人本人尋問の各結果はともに措信できない。してみると控訴人と担当係官との間の折衝の過程において五〇〇万円の経費性に関する「問題点一」のみならず、本件不動産売却による譲渡所得額およびその共有者である訴外如意嘉子との配分等に関する「問題点二、三」についても、当初より直接あるいは世古税理士を通じて折衝の対象になつていたのであり、そのため控訴人自ら東京都に赴いて右二、三に関する証明資料をえようと努力したほどなのであり、しかも、控訴人が本件修正申告をなす際には、たとえ控訴人が税務知識に乏しかつたとしてもそうした知識経験を補うため頼んで同行してもらつた世古税理士とともに、各項目金額の記入された申告書の交付を受け、その内容を点検する機会は充分あつたのに、充分な点検もせず、自分の希望どおりの記載がなされているものと軽信し、世古税理士に勧められるまま申告書に記名押印したのは重大な過失があるというべきである。控訴人は税務署の調査官が控訴人に対し欺瞞的に本件修正申告をなすよう慫慂したことにより錯誤に陥つたと主張するが、その事実を認めさせるにたりる適切な証拠はない。

かようにみてくると、本件修正申告の内容に控訴人主張の如き錯誤があつたものとしても、その無効の主張を許すべき特別の場合にあたらないものというべきである。よつて控訴人のその余の主張について判断するまでもなく、控訴人の本訴請求は失当であるから、これを棄却した原判決は相当であつて、これを維持すべく、本件控訴を棄却することにし控訴費用は控訴人に負担させることにして主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西川正世 裁判官 丸山武夫 裁判官 山田義光)

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